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德川家康
5
7.7
已完結
德川家康
7.7
更新時(shí)間:09月04日
主演:滝田栄,武田鉄矢,宅麻伸,田中美佐子,池上季実子,近藤正臣,小林桂樹(shù),竹下景子,石坂浩二,勝野洋,田中健,內藤武敏,役所広司,高岡健二,津川雅彥,寺田 農,堀內正美,瑳川哲朗,御木本伸介,伊吹吾朗,金內吉男,成田三樹(shù)夫,佐藤 慶,鹿賀丈史,1尾上辰之助,紺野美沙子,夏木陽(yáng)介,八千草薫,大竹しのぶ,夏目雅子,藤真利子,江原真二郎,長(cháng)門(mén)裕之
簡(jiǎn)介:

  NHK大河ドラマ第21作。
  女性を主人公とする試みやオリジナル腳本など、ここ數年続いた大河の質(zhì)的な転換を修正し、もっとも時(shí)代劇らしい作品とすべく制作された一作。徳川家康の75年の生涯とその時(shí)代を描いた山岡荘八の原作をもとに、新舊豪華キャストの競演で臨まれた本作はまさしく大河の面目躍如となった。ここで家康を演じるのは、長(cháng)身で面長(cháng)の滝田栄。従來(lái)のタヌキ親爺的イメージをぬぐい去り、苦難の前半生を拠り所とする人間味にあふれる新しい家康像が作り出された。また、腳本家小山內美江子の強い希望で起用された武田鉄矢も、それまでにない奔放な秀吉を見(jiàn)事に演じてみせる。さらに、信長(cháng)を演じた役所広司はかつての『太閤記』の高橋幸治を髣髴させるかのよう、この一作で一躍スターダムにのし上がった。
  01 竹千代誕生
  02 離 別
  03 人質(zhì)略?shī)Z
  04 忍従無(wú)限
  05 人質(zhì)交換
  06 試練の時(shí)
  07 初 陣
  08 桶狹間
  09 岡崎入城
  10 三河一向一揆
  11 興亡の城
  12 人生の岐路
  13 三方ヶ原合戦
  14 父と子
  15 陰 謀
  16 無(wú)情の嵐
  17 無(wú)血の勝利
  18 謀叛発覚
  19 長(cháng)篠の戦
  20 難 題
  21 信康追放
  22 落花有情
  23 安土への道
  24 本能寺の変
  25 伊賀越え
  26 次に吹く風(fēng)
  27 小牧長(cháng)久手の戦
  28 數正出奔
  29 三河の意地
  30 両雄対面
  31 妻ならぬ母
  32 家康江戸入り
  33 戦雲動(dòng)く
  34 渦中の人
  35 太閤死す
  36 分裂の芽
  37 窮鳥(niǎo)猛鳥(niǎo)
  38 機は熟す
  39 関ヶ原前夜
  40 関ヶ原
  41 將軍家康
  42 世界の嵐
  43 連判狀の夢(mèng)
  44 騒動(dòng)の根
  45 巨城の叫び聲
  46 老いの決斷
  47 大坂冬の陣
  48 大坂夏の陣
  49 落 城
  終 泰平への祈り

0
1983
德川家康
主演:滝田栄,武田鉄矢,宅麻伸,田中美佐子,池上季実子,近藤正臣,小林桂樹(shù),竹下景子,石坂浩二,勝野洋,田中健,內藤武敏,役所広司,高岡健二,津川雅彥,寺田 農,堀內正美,瑳川哲朗,御木本伸介,伊吹吾朗,金內吉男,成田三樹(shù)夫,佐藤 慶,鹿賀丈史,1尾上辰之助,紺野美沙子,夏木陽(yáng)介,八千草薫,大竹しのぶ,夏目雅子,藤真利子,江原真二郎,長(cháng)門(mén)裕之
康乃馨
29
9.2
已完結
康乃馨
9.2
更新時(shí)間:09月02日
主演:尾野真千子,麻生祐未,正司照枝,栗山千明,新山千春,廣山詞葉,安田美沙子,寶田明,十朱幸代,綾野剛,小林薰,夏木真理,吉岡龍輝
簡(jiǎn)介:

  以92歲高齡于2006年逝世的日本女性時(shí)裝設計師小筱綾子(同時(shí)也是著(zhù)名設計師小筱弘子、小筱順子、小筱美智子三姊妹的母親)為原型,講述主人公小原糸子(尾野真千子 飾)身為母親和服裝設計師,一生充滿(mǎn)淚水與歡笑的人生奮斗故事。
  由NHK大阪放送局制作,也是五年來(lái)首部以大阪府作為舞臺的晨間劇。大阪局于2011年1月13日召開(kāi)記者招待會(huì )說(shuō)明制作概要,2011年3月7日正式宣布起用尾野真千子為女主角。[1]
  原本計劃2011年9月26日開(kāi)始播出,但由于東日本大地震的發(fā)生,前兩檔《鐵板》與《太陽(yáng)公公》的播放時(shí)間都順延一周,因此《康乃馨》延至10月3日才首播,總集數比原計劃縮減一周(6集)。
  本劇為首部完全采用非交錯掃描式(Progressive)攝影機拍攝的晨間小說(shuō)連續劇,在此之前NHK已有白洲次郎、坂上之云等特別劇以及2010年以后的大河?。ㄈ纭褒堮R傳”、“江~公主們的戰國~”等)采用。
  另外,本劇各周的副標題皆是以花語(yǔ)來(lái)命名,例如第一周的“あこがれ”(向往)即為向日葵的花語(yǔ)。

0
2011
康乃馨
主演:尾野真千子,麻生祐未,正司照枝,栗山千明,新山千春,廣山詞葉,安田美沙子,寶田明,十朱幸代,綾野剛,小林薰,夏木真理,吉岡龍輝
獨眼龍政宗
2
8.7
已完結
獨眼龍政宗
8.7
更新時(shí)間:09月02日
主演:渡邊謙,櫻田淳子,三浦友和,巖下志麻,西郷輝彥,久保明,高島政宏,八千草薰,樋口可南子,原田芳雄,飯島正和,勝新太郎,真田廣之,石橋蓮司,平田満,龍雷太,小林かおり,野村宏伸,澤口靖子,北大路欣也,長(cháng)塚京三,奧田瑛二,津川雅彥
簡(jiǎn)介:

  Disc1
  第一回「誕生」
  1月4日放送
  永祿八年(1565)、伊達家の當主?輝宗に最上義守の娘?義姫が嫁いできた。義姫は、東館に迎えられ、お東の方と呼ばれた。永祿十年(1567)八月三日、嫡男が誕生し、輝宗は「梵天丸」と命名。梵天丸は五歳の時(shí)、天然痘に倒れ右目の光を失ってしまう。
  第二回「不動(dòng)明王」
  1月11日放送
  輝宗は、名僧?虎哉宗乙を梵天丸の學(xué)問(wèn)の師に招く。ある日、梵天丸は傅役?喜多と訪(fǎng)れた寺で、不動(dòng)明王はなぜ怖い顔をしているのかと訊ねた。そこで虎哉から、外見(jiàn)と異なり慈悲深い仏であると聞き、「梵天丸もかくありたい」と呟いた。
  第三回「親ごころ」
  1月18日放送
  輝宗は、時(shí)の流れを見(jiàn)つめた外交的手腕を発揮していた。天正二年(1574)正月、最上家で內亂が起こる。父や実の兄弟の爭いに、お東は心を痛めた。そして、さらに心を傷つけられることが起る。家臣たちが、喜多を輝宗の側室にしようと畫(huà)策したのだ…。
  第四回「元服」
  1月25日放送
  天正四年(1576)、梵天丸の弟?竺丸が誕生。お東は、輝宗に自分の乳で育てたいと言い、竺丸を寵愛(ài)した。天正五年(1577)十一月十五日、梵天丸の元服のxが執り行われ、名を藤次郎政宗と改める。お東から水晶の數珠を贈られ、母だと思い大切にすると誓う。
  Disc2
  第五回「愛(ài)姫」
  2月1日放送
  天正七年(1579)十一月、三春の城主?田村清顕の息女?愛(ài)姫が藤次郎のもとに嫁いできた。藤次郎は數え年十三歳、愛(ài)姫は十一歳。愛(ài)姫の傅役となった喜多は、愛(ài)姫を伊達の水になじませようと心を砕くが、田村家から同行してきた侍女が、姫への接觸を拒み続ける。
  第六回「侍女成敗」
  2月8日放送
  田村家の侍女?村岡が「藤次郎君には、ことのほか凡愚にて主君の器にあらず…」と記した密書(shū)を三春に向けて放った。その密書(shū)を奪還した喜多が村岡らを問(wèn)い詰めると、突然、侍女が喜多に襲いかかった。喜多は身をかわし、村岡たちを斬り捨てた。
  第七回「初陣」
  2月15日放送
  伊達家の護神に戦勝祈願をし相馬に向かった藤次郎は、小十郎らと勇敢に戦うが、初陣首を狙われかねない無(wú)謀な戦いに、輝宗から「大將は最後まで生きのびるのがつとめ、ときに臆病でなくてはならない」と厳しく諭される。この年の六月、織田信長(cháng)が死去した。
  第八回「若武者」
  2月22日放送
  本能寺の変は、東北の大名たちにも衝撃を與えた。若武者?藤次郎は、「信長(cháng)のように生きてみたい」と天下への夢(mèng)を見(jiàn)る。その頃、譜代の家臣たちがお東と結びつき不穏な動(dòng)きを見(jiàn)せた。輝宗は、お家分裂の危機に隠居を決意。藤次郎に家督を継がせた。
  Disc 3
  第九回「野望」
  3月1日放送
  天正十二年(1584)十月、藤次郎政宗は伊達家十七代當主となる。側衆には伊達成実、片倉小十郎、鬼庭綱元らが選ばれ、家中の若返りが図られた。そして若干十九歳の政宗は、東北で最大最強の蘆名に敢然と戦いを挑んだ。政宗の器量を問(wèn)う合戦であった。
  第十回「男の器量」
  3月8日放送
  天正十三年(1585)五月、伊達軍は會(huì )津國境の檜原峠から蘆名領(lǐng)へ攻め入るが、敵城?大塩城の守備は固く、戦況はおぼつかなかった。小十郎の進(jìn)言で、政宗は兵を米沢へ一旦引き揚げた。八月、政宗は田村家の協(xié)力も得て、再び小浜城の大內討伐に向った…。
  第十一回「八百人斬り」
  3月15日放送
  戦いの火蓋は、小手森城で切って落とされた。大內定綱は會(huì )津と二本松に援軍を求め、持久戦の構えであったが、成実の働きで戦局は一転、小手森城は陥落。定綱が逃げたと知った政宗は激怒?;\城していた八百人の大內勢を皆殺しにして震え上がらせた。
  第十二回「輝宗無(wú)殘」
  3月22日放送
  父?輝宗は、政宗に二本松の畠山義継との和睦を強く勧めた。政宗は、侘びを不服とし、領(lǐng)土の大半と一子を人質(zhì)に差し出せと言い渡す。義継はお禮言上と稱(chēng)して政宗に面會(huì )を求めるが、拒否されると宮ノ森城の輝宗に拝謁を求め、心を許した輝宗を人質(zhì)にとって二本松に連れ去ろうとした…。
  Disc 4
  第十三回「人取橋」
  3月29日放送
  政宗は、父の葬儀を盛大に執り行った。そんな折、二本松城に異変が起きる。佐竹、蘆名ら南奧州の大名が二本松城救援のため三萬(wàn)の連合軍を組織。政宗は観音堂山に陣を取り、人取橋で連合軍と対峙。この伊達の存亡をかけた戦いに、政宗は勝利する。
  第十四回「勝ち名乗り」
  4月5日放送
  三萬(wàn)の連合軍を撃退した十九歳の政宗も、冬の二本松城には手も足も出なかった。政宗は、物資補給路を遮斷。七月十六日、遂に二本松城を無(wú)血開(kāi)城させる。塩松郡と二本松領(lǐng)を手中にした政宗は、仙道筋の全てを支配。初めての領(lǐng)土仕置きを行った。
  第十五回「めごとねこ」
  4月12日放送
  天正十四年(1586)十月、愛(ài)姫の父?田村清顕が死去。愛(ài)姫の子を後継ぎに迎える約束の田村家は、権勢を夫人が握り、相馬に接近。愛(ài)姫は自分が懐妊しないのが原因と悩む。そんな折、家臣?飯坂宗康の娘「ねこ」が、政宗の最初の側室となる。
  第十六回「南北の敵」
  4月19日放送
  天正十五年(1587)、春。米沢の北、長(cháng)井ノ莊で內亂が起った。政宗は直ちに鮎貝城に兵を出し、謀反を封じた。続いて大崎で內亂が起き、政宗は大崎への出兵を決行するが、家臣?黒川月舟斎の裏切りで軍勢は総崩れとなり、南北の脅威にさらされる。
  Disc 5
  第十七回「宮仕え」
  4月26日放送
  泉田重光が人質(zhì)となり山形城に預けられた。その頃、成実が大內定綱の軍勢を打ち破る。ところが定綱は伊達に奉公したいと、政宗に拝謁。政宗は、定綱を召し抱える。天正十六年(1588)五月、政宗は小手森城を攻略し石川弾正を追放。田村領(lǐng)へ進(jìn)軍し仙道を南下した。
  第十八回「お東、居座る」
  5月3日放送
  政宗は、母?お東に最上との仲介を求めた。だが和睦の交渉はこじれた。両軍は國境の中山峠をはさんで睨みあう。その峠に、甲冑に身を固めたお東が和睦を求め座り込んだ。義光は上杉勢が領(lǐng)內に攻め入ったことで和睦し、泉田重光は解放された。
  第十九回「大移動(dòng)」
  5月10日放送
  政宗は奧州平定を急いだ。蘆名討伐に向け、まず相馬を打ち砕くと、成実と小十郎隊を豬苗代へ進(jìn)軍させ、本隊は南の蘆名城へ進(jìn)撃。しかし、突然進(jìn)路を変え、六月四日、一萬(wàn)五千の大軍を率いて豬苗代湖の東岸を北上し、成実らと合流した。
  第二十回「決戦、摺上原」
  5月17日放送
  天正十七年(1589)六月五日、摺上原で政宗が率いる伊達軍と蘆名軍が激突した。蘆名軍は、家內の內紛から足並みが揃わず、戦いは伊達軍の圧勝で終わった。奧州の名門(mén)?蘆名家は滅亡。この時(shí)から昇り竜の如き勢いの政宗は、獨眼竜政宗と呼ばれた。
  Disc 6
  第二十一回「修羅の母」
  5月24日放送
  天正十八年(1590)の初め、秀吉は北條氏討伐の軍令を発し、政宗にも參陣を促した。これを政宗は拒絶。お家安泰を願うお東と老臣たちは、政宗の蟄居を畫(huà)策。お東は、義光に「政宗の首を関白に獻上いたすのじゃ」と、政宗暗殺を強く勧められ苦悩する…。
  第二十二回「弟を斬る」
  5月31日放送
  政宗は遂に參陣を決意、あいさつにお東をたずねた。祝いの膳に舌鼓を打つが、突然に吐き気をともなってのた打ち回る。毒がもられていたのだ…。一命を取りとめた政宗は、苦悩の末、小次郎を謀反者として成敗。お東は、義光のもとに落ち延びた。
  第二十三回「小田原へ」
  6月7日放送
  政宗が最上の動(dòng)きを牽制し、越後から信濃路をたどり、小田原を目指した時(shí)、すでに秀吉は小田原城を二十二萬(wàn)の軍勢で包囲し終えていた。小田原參陣に遅れた政宗は、白かたびらに水引の元結、まさに死裝束で秀吉のもとへ參上するのであった…。
  第二十四回「天下人」
  6月14日放送
  秀吉は、政宗の「打首覚悟で參上しました!」との言葉に、「運のよい奴よ…」と、満足そうに微笑んだ。かくして、政宗には何のおとがめもなかったが、會(huì )津領(lǐng)土を失うことに。政宗は「秀吉は五十四歳、俺は二十四歳…」と、時(shí)節の到來(lái)を待つ覚悟をする。
  Disc 7
  第二十五回「人質(zhì)、めご」
  6月21日放送
  秀吉は仕置きを行うと同時(shí)に、検地、刀狩りを実施。政宗には、愛(ài)姫を人質(zhì)として差し出すよう命じる。愛(ài)姫は「伊達家の安泰を…」と、喜多を伴なって上洛。この頃、東北では一揆が勃発。秀吉は「蒲生氏郷とともに一揆を鎮圧せよ」と政宗に命じた。
  第二十六回「絶體絶命」
  6月28日放送
  伊達の家臣?須田伯耆が寢返って、政宗が一揆勢に與えた直筆を氏郷に持參。政宗謀反の報告は、秀吉のもとにも屆いた。政宗は秀吉に上洛を命じられ京へ旅立つ。今度こそは首をはねられる…、関白?秀吉の強大な権力の前に、政宗は絶體絶命であった。
  第二十七回「黃金の十字架」
  7月5日放送
  清洲城で秀吉に拝謁した政宗は「密書(shū)に記された鶺鴒をかたどった花押には眼孔がない。本物ならば目に針の穴をあけてある」と申し開(kāi)きをする。秀吉は、なるほど…政宗逆心の疑いは晴れた、と許す。上洛の命を受けた政宗は白裝束に金の磔柱をかついで、京を行進(jìn)して參上。秀吉は上機嫌で迎えた。
  Disc 8
  第二十八回「知恵くらべ」
  7月12日放送
  天正十九年(1591)、政宗は、朝廷から従四位下の官位を授かる。しかし、會(huì )津の所領(lǐng)は召し上げとされた。再び勃発した大崎、葛西地方の一揆討伐に向かう政宗に、家臣らは、これぞ天下を取る好機と迫る。政宗と秀吉の知恵くらべが始まる…。
  第二十九回「左遷」
  7月19日放送
  政宗は、一揆を完全鎮圧するが、大崎、葛西への國替えを命じられる。家康は、新しい領(lǐng)地は、東には海が開(kāi)け、西には豊かな金山がある。富は海からも山からも無(wú)盡蔵だ。決して左遷ではない、と政宗を諭して、巖手沢城を居城とするように勧めた。
  第三十回「伊達者」
  7月26日放送
  文祿元年(1592)、政宗は朝鮮出陣の命を受け、軍勢を率いて上洛。九州勢から朝鮮遠征は始まった。政宗は、三千の兵を三萬(wàn)に見(jiàn)せようと、伊達勢の軍裝を飾り立てた。その絢爛華麗ないでたちに、出陣を見(jiàn)送る町衆たちは「これぞ伊達者よ」と賛辭した…。
  第三十一回「子寶」
  8月2日放送
  伊達勢は、肥前?名護屋城での足止めが長(cháng)引いた。文祿二年(1593)四月、釜山に上陸するが、遠征軍は各地で敗北を喫していた。伊達勢も苦しく壯烈な戦闘が続いた。その頃、淀君が男子を産む。秀吉は鶴松の生まれ変りと喜び、遠征軍の撤退を決定する。
  Disc 9
  第三十二回「秀次失腳」
  8月9日放送
  政宗は、京で愛(ài)姫や娘?五郎八(いろは)と過(guò)ごしていた。文祿四年(1595)二月、蒲生氏郷が毒殺された。奧州三將を頼る秀次と親交を深めていたことが原因と噂された。三成のざん言に惑わされた秀吉は、秀次を高野山へ蟄居、最上義光の末娘?駒姫を処刑してしまう。
  第三十三回「濡れ衣」
  8月16日放送
  秀次事件で義光は謹慎、淺野長(cháng)政は蟄居、政宗にも上洛の命が下った。政宗は、濡れ衣だと申し開(kāi)きをするが、流罪の沙汰が下る。政宗は、無(wú)念の思いを愛(ài)姫に伝えた。そんなある夜、徳川屋敷の門(mén)前に立てられた奇怪な高札で、事態(tài)は一転する…。
  第三十四回「太閤の死」
  8月23日放送
  慶長(cháng)元年(1596)十二月、伏見(jiàn)城の城普請が完成。政宗が従四位下右近衛権少將に敘せられた祝宴の席上で、秀吉は倒れ病の床につく。三成が秀吉亡き後の布石を打つ中、秀吉は秀頼への力添えを政宗に頼んだ。慶長(cháng)三年(1598)夏、家康と利家に後を託し死去する。
  第三十五回「成実失蹤」
  8月30日放送
  秀吉の死後、三成と家康が、奧羽の盟主?政宗をめぐって天下の綱引きを始めた。そんな中、出奔していた成実が帰參の勧告に応じず再び失蹤。政宗は、成実の居城の召し上げを決斷。しかし、成実の妻子は城の引き渡しを拒んで自害してしまう…。
  Disc 10
  第三十六回「天下分け目」
  9月6日放送
  事実上、最高権力者となった家康は、上杉討伐を決斷。先陣を命じられた政宗は、千代(のちの仙臺)に近い北ノ目城を本陣とし、上杉勢への猛攻撃を開(kāi)始。京では、三成が反徳川勢を結集して挙兵…。天下分け目の関ヶ原の戦いが始まろうとしていた。
  第三十七回「幻の百萬(wàn)石」
  9月13日放送
  上杉勢と戦っていた政宗が、東軍の勝利を知ったのは、関ヶ原の戦いが終わって半月後であった。三成が処刑された頃、奧羽の地でさらなる戦いを繰りひろげていた政宗は、家康と交わした百萬(wàn)石の念書(shū)を胸に、新しい城普請の夢(mèng)を広げていた…。
  第三十八回「仙臺築城」
  9月20日放送
  慶長(cháng)六年(1601)十月、伏見(jiàn)城に上洛した政宗は、帰國を固く禁じられた。慶長(cháng)七年(1602)、家康は徳川體制を天下に誇示するために、江戸城の周りに大名屋敷をつくり始めた。夢(mèng)にまで見(jiàn)た千代城を完成させた政宗だが、家康の命に服して江戸に下ることになる。
  第三十九回「五郎八、嫁ぐ」
  9月27日放送
  政宗は、千代を仙臺と改めた。山形の最上家の悲運とは対照的に、伊達家では、五郎八と忠輝の婚禮。そして家康の一姫と虎菊丸の縁組みと興隆を極めた。政宗は、江戸では積極的に儀禮交換や外交につとめ、仙臺では國作りとその経営に沒(méi)頭した。
  Disc 11
  第四十回「大船造り」
  10月4日放送
  政宗は、宣教師ルイス?ソテロに仙臺での布教を認める。狙いは、南蠻との交易であった。そんなある日、忠輝の家老?大久保長(cháng)安から、天主教の入信帳という妖しげな連判狀を見(jiàn)せられる…。政宗は家康から南蠻船建造の許しを得るが、連判狀が露見(jiàn)する。
  第四十一回「海外雄飛」
  10月11日放送
  南蠻船が完成し、政宗は仙臺城で南蠻使節団を発表。乗組員は、ソテロや支倉常長(cháng)ら総勢百八十六名。常長(cháng)には、イスパニア艦隊を大坂に呼び寄せる密命が託された。慶長(cháng)十八年(1613)九月、サン?ファン?バウティスタ號は政宗の夢(mèng)を乗せて月ノ浦を出港した。
  第四十二回「大坂攻め」
  10月18日放送
  慶長(cháng)十九年(1614)、政宗は、忠輝の越後高田城の城普請を見(jiàn)守り、家康の信用回復に努めていた。その頃、真田幸村ら武闘派が主導権を握った豊臣方が、家康の畫(huà)策にのって戦闘態(tài)勢に入った…。十一月十九日、遂に大坂冬の陣の火蓋が切って落とされた。
  第四十三回「ねこ、宇和島へ」
  10月25日放送
  秀頼と淀君は、家康の講和條件を受け入れた。徳川方は、大坂城の堀を埋め始めた。家康は政宗の長(cháng)男?秀宗を十萬(wàn)石の大名に取り立て、伊予宇和島を所領(lǐng)配分した。貓御前は不服であったが、宇和島藩十萬(wàn)石の創(chuàng )立のためと、海路、宇和島に向かう。
  Disc 12
  第四十四回「大坂夏の陣」
  11月1日放送
  家康は秀頼に伊勢への転封を命じた。秀頼はこれを拒み、再び決戦を辭さぬ構えを見(jiàn)せた。徳川勢は、堺を手中に納め大坂への武器弾薬の補給路を斷った。淀君は徳川勢が三萬(wàn)五千の大軍と知り、和睦の方法を探るが、時(shí)は遅く大坂夏の陣が始まった。
  第四十五回「ふたりの父」
  11月8日放送
  政宗の諌言で大御所のご機嫌伺いに赴いた忠輝は、父?家康に不満の數々をぶつけた。政宗の力添えで、忠輝は禁中に參內し、しかるべき勲位を授かることになるが、この大事を忠輝は破ってしまう。家康に婿の父として詫びに赴いた政宗であったが…。
  第四十六回「離縁狀」
  11月15日放送
  もはや戦國の世は終わった。白石城の片倉小十郎景綱は、伊達家の將來(lái)を案じながらこの世を去った。その頃、江戸?伊達屋敷の五郎八は、夫の命を救う術(shù)として、忠輝との離別を覚悟する。それは、伊達と松平を切り離そうとする幕府の狙いでもあった…。
  第四十七回「天下の副將軍」
  11月22日日放送
  忠輝が手討ち覚悟で父?家康を見(jiàn)舞いに駿府へ赴く。家康は、會(huì )いたくても會(huì )えぬと涙を浮かべた。そして政宗に「天下の副將軍として、秀忠を助けて欲しい」と頼み、元和二年(1616)四月十七日、眠るようにこの世を去った。政宗は副將軍として采配を振るうことになる。
  Disc 13
  第四十八回「伊達流へそ曲がり」
  11月29日放送
  元和二年(1616)夏、幕府の仙臺藩討伐の動(dòng)きがある中、將軍?秀忠の姪?振姫と忠宗の縁組み話(huà)が舞い込む。しかし政宗は、振姫では不服と開(kāi)き直る。秀忠は振姫を養女とした。政宗は「これぞ伊達流へそ曲がり術(shù)の極意じゃ」と、ご機嫌であった…。
  第四十九回「母戀い」
  12月6日放送
  東北の名門(mén)最上家に、幕府は改易の斷を下し、山形城召し上げの名代を政宗に命じた。成実の率いる大軍によって、引き渡しは何の障害もなく行われた。政宗は、母?保春院を仙臺に引き取ろうとするが、最上家の復興を願う保春院は仙臺入りを拒む。
  最終回「大往生」
  12月13日放送
  副將軍?政宗の地位は揺るぎないものとなった。寛永二年(1625)、忠宗に家督を譲り、人生を享楽する日々を送る。しかし、身體は病にむしばまれ、寛永十三年(1636)五月二十四日、「畫(huà)像にも木像にも両眼を入れさせよ…せめて來(lái)世では愛(ài)を両眼で見(jiàn)たい」と言い殘して、江戸?伊達屋敷で大往生を遂げる。享年七十歳であった。

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1987
獨眼龍政宗
主演:渡邊謙,櫻田淳子,三浦友和,巖下志麻,西郷輝彥,久保明,高島政宏,八千草薰,樋口可南子,原田芳雄,飯島正和,勝新太郎,真田廣之,石橋蓮司,平田満,龍雷太,小林かおり,野村宏伸,澤口靖子,北大路欣也,長(cháng)塚京三,奧田瑛二,津川雅彥
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